「大きな森の木の話」


 森がありました。大きな大きな森、本当に大きな森です。
 色々な木が生えています。色々な動物がいます。泉があります。川もあります。高くなったり低くなったりしながら、どこまでも続いている森です。
 春、解けた雪の下からいっせいに顔を出したいのちは、夏には青々と茂り、森中緑色の香りで包まれます。秋、鮮やかに色付いた葉は一枚一枚散り始め、冬には再び深い雪の下に埋もれるのです。
 そこに際立って大きな一本の木がありました。
 この森で一番古くて一番大きな木です。もう何十年も前から種を飛ばすこともできない程年老いて、それでも枯れる気配がありません。てっぺんが森の上から突き出て、雲を超えて天に向かっている姿はまるで山のようです。枝も太くてそこらの木を何本も束ねたくらいあります。幹はといえば一回りするのに何日もかかりそうなのです。根も幹も枝も、苔や草で幾重にも覆われ、宿木が途中から何本も生えて、一体、本当の幹がどこにあるのかわからない程の、それは大きな一本の木でした。
 その木が一体、どのくらいの年月をここで過ごしてきたのか。その最初の一葉が種の殻を破り、小さな生命を吹いたのは一体いつだったのか・・・。それはその木しか判りません。だからその木が『自分は世界が生まれると同時に生まれた』と言ったとしても、それを確かめる事はできないので、きっとそうなのだと思うしかないのです。
 けれどその木は、そうは言いませんでした。
 皺だらけのごつごつした太い枝を、大儀そうにゆらしながら語ってくれたのです。
 大きな森の真中で、私は聞いたのです。
 幾百年、幾千年、ひょっとするともっともっと昔のお話です。
そう、木は、こう語り始めました。


 「遠い遠い昔・・・ふと、気が付いたらここにいた。始めはそんな感じだった。広い大地と広い空。見渡す限り自分以外のものは、何一つない。その心細さときたら・・・自分はなんてちっぽけなんだろう、って思ったよ。朝がきて昼がきて夜がくる。それはいつも、暑すぎたり寒すぎたりでどんなに辛かったことか。何度も思ったよ。自分はこのまま、誰にも知られる事もなく死んでしまうんじゃないか、ってね。怖かった。とても怖かった。
 しかし私は生きていた。そしてだんだんこの世界にも慣れてきた。
 地平線の向こうから昇ってくる太陽。空の広さ。大地から大地へ、半月形を描く虹。凍るような夜も輝いている星々。少しずつ姿を変えて輝く月。
 吹き抜ける風に水の匂いが混じると、やがて雨雲がやってくる。ぽつん、と小さな雲が出来たかと思うと、それがあっという間に空いっぱいにひろがる。足元に湖ができる程の大雨の時もあれば、ほんの申し訳程度に葉っぱを濡らして去って行く雲もある。
 枝が折れるほど風の強い日には、飛んできた砂が体中に積もって大変なものだった。
 それでも私はたった一人でここにじっと立っていたんだ。くる日もくる日も。」
木は昔を思い出したように体を揺らし、葉っぱが何枚か私の上に降りかかりました。


 「何年の月日が流れただろう・・・。気が付くと私はとても大きくなっていたんだ。とても。今と比べると小さなものかもしれない。それでも、初めて自分を知った時には、ほら、そこのすみれの花より小さかったからね。まさかこんなに大きくなるとは思ってもみなかった・・・。
 そう、私はとても大きくなっていたんだ。
 自分で実を結ぶことができた。種を飛ばすことができた。見たことはないだろうが、私の種はここいらのどんな木とも違うんだよ。ほうせんかの種より小さくて軽くてね、小さな葉っぱを一つずつ持っていて、待っているんだ。何を?『風』をさ。強い風が吹く時、体を震わせて一斉に飛ばすんだ。自分で言うのもなんだけど、それは綺麗だったよ。蒼い空がその時だけ緑色に染まったようになってね、その緑が少しずつあおにとけて遠くなって行く・・・。ふふ、今となっては花の咲くこともないが・・・。
 種の多くはどこか遠くへ、私の知らない世界へ飛んで行った。幾つかは、ほんのごく僅かな幾つかは、足元やすぐ傍へ落ちていた。春になると芽吹くその子達は、たいていひと月程で枯れてくずれ落ちてしまう。
・・・私のせいでね・・・。
大きくなりすぎていた私が、ここら一帯の栄養を吸い取ってしまっていたんだ。生まれて間もない私の子供達には耐えられない弱々しい土地だったよ、ここは。
結局私は一人ぼっちのまんまだ。他の誰でもない、自分のせいで・・・。」
木は少しさびしそうでした。死んでいった子供達を思い出しているのでしょうか?それとも、その時の寂しさを・・・。


 「それでも私は毎年種を飛ばした。きっとどこか知らない世界で元気に育っているだろうって思いながら。そしてある年のこと、春になって芽を出した私の子供達は、いつもの様に、ひと月程で倒れていった。いつものことだったが、やはり哀しかった。
 ところがだ。それからさらにふた月ほど経って、倒れた子供達の上に何か緑色のものが見える。見たことのない芽が生えていたんだ。私の子じゃない。小さな小さな命。でもちゃんと双葉をひろげて、一生懸命だった。私はなぜだかその子達が無事に育つような気がしてね、一日中そっちばかり見ていたんだ。ずっと。
 それからはあっという間だった。太陽が何回か昇って沈んだ後には、その子達はすっかり大きくなっていた。どうやら倒れた私の子達が栄養になっていたようだ。どこから種が飛んで来たのかはわからない。いつもの春の大風か、気まぐれな鳥の糞からか・・・。それにしても、想像してみてくれ。その時の私の歓びを。日の光。風の薫り。そして何より、大地のあたたかさ。
世界中が、世界中のものが輝いて見えた・・・。」


 私は今でも思い出します。あの時の木のことを。それを話す木がどんなに嬉しそうだったか。本当に嬉しそうに語ってくれたのです。
 今は、もう、大きな大きな森の中。
 たくさんの生命につつまれて、たくさんの生命を見守ってきた、大きな大きな木の話。
 幾百年、幾千年、きっともっともっと昔の物語です・・・。







転載:2006.5.25
初出:2001.1.28 「EVER GREEN」



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