はじまりの物語




 とても短い話をしましょう。
 そして永い話をしましょう。
 これは短くて永い物語です。

 世界は一掴みの土から生まれました。
 土は何もない世界が寂しくて、ごろごろした石や山や、砂に、分かれたりくっついたりしながら増えつづけました。けれども、自分で自分を慰める事はできません。土だけの冷たい大地。この世界が生まれたばかりの頃、大地はひとりなのでした。
 この世で一人だけの大地の心を慰めるのは、遥か遠くにある太陽だけでした。
 話し掛けても届かない太陽に憧れ、焦がれ。
 大地はあの温かさを、ぬくもりを欲しいと、土は火になりました。

 火は土の中にわだかまり、土を暖めました。
 火が生まれた事によって、世界は様々な変化が起こりました。
 暖かくなった大地に解かされて、空気が巡るようになりました。昼と夜とで寒暖を繰り返し、水が大地を覆いました。水と空気が溢れる大地には、やがて草木が生まれ、育っていきました。
 火は一人だけではなくなった事に、とても満足しました。嬉しくて跳ね上がり、煮えたぎり、燃え、熱くなり、土を溶かして。
 そしてある時、高い山から噴き出しました。
 火はようやく大地を覆い始めた草木を燃やしながら流れました。
 火は、決してみんなを燃やすつもりはなかったのです。けれども、どんなに優しく触れてもみんなみんな燃えてしまう。悲しく泣きながら流れる火は、海に辿り着きました。じゅうじゅうと音をたてて海に落ち込んだ火は、水が初めてそっと自分を受け止めてくれたことを知りました。
 火は、とても嬉しかったのです。
 火をも受け入れてくれる水に感謝して、火は水になりました。

 水は姿を変え、巡っていました。
 大地から凍み出す冷たい湧き水だった水は、仲間と出会って細い流れになり、流れはとうとうとたゆたう河になり、やがてすべてが流れ着く海へ。
 海にはいつしか小さな生きものの姿が見え隠れしていました。目には見えない程の小さな生きもの達ですが、彼らを取り巻く海になっている水にはわかります。生きものが大きくなり、死んでまた生まれる姿を受け止めながら…。
 海はやがて暖められて空に昇り、雨になって土に注ぎ、そしてまた湧き出し、流れは今度は湖へ。
 世界を巡った水は満足し、そして湖は水を受けて静謐に在りました。時折その静寂を乱すのは、湖面を渡る風のみ。風は湖面に漣をたて、模様を作り、時には空まで水を噴き上げます。
 自らの姿を変えさせる風は、水の憧れでした。
 だから水は風になりたいと願い、そして水は風になりました。

 風は世界を自由に翔け巡りました。
 その気になりさえすれば世界の果てから果てまでをも、瞬きの間に翔けることさえできるのです。何時の間にか溢れ育った、世界中の生き物の頬をかすめながら、風は世界を翔けました。
 山を駆け下り、熱に乗って天高く昇り、雨の渦をつくり。
 雲に、湖に、草原に、砂漠に模様をつけて遊びました。
 花や葉散らし、鳥を追い越し、獣のたてがみをなびかせて。
 こうして風は世界を廻り、たくさんの生きもの、そして生きていないものとすれ違いながら時を過ごしました。けれど、 気が着くと。生きているものとも、生きていないものとも、風にはすれ違う事しかできません。こんなにも自由な世界の 中で、何故か風は一人の様に感じて寂しくなりました。
 そんな時、風はその手で森の屋根をなでながら、ふと、森はなんと気持ちの良い音をたてるのだろう、と思ったのです。
 森は風の好きな楽器でした。世界中を旅して、変わり行く生きものたちの中にあって、森は不思議にいつも同じでした。変わりながらも同じ、生きもの。
 風は木を愛しみました。
 そして、風は木になったのです。

 木はその姿を変えつつ、長い間生きました。
 種から双葉に、そして小さな木から大きな木に。少しずつ姿を変え、それでいて決して変わることなく。若葉を、花果を虫や獣に食われ、逆に虫や獣に助けられつつ、育っていきました。
 木は風であった頃を少し憶えていました。同様に、水であった頃や、火であった頃、土であった頃をなんとなく憶えていました。
 それは記憶、と呼べるほどのものではなく、「生きている」からこそ持っていられる本能だったのかもしれません。
 その本能が、長い年月の中に常に何かを望んでいると、木は感じていました。
 土を食み、土の奥と高い太陽(ほし)の火に暖められ、水を飲み、風にそよいで。長い間生きました。木の周りでは二本足や四本足の生きものが生まれ、世代を重ね、木の側で遊び、忘れていきました。本当に長い時を過ごし…それでもついに枯れる時がきました。生きていたからです。
 枯れた木は、風に吹かれ、雨に打たれ、火に照らされながら・・・土に還っていきました。

 眠りにつく寸前、木はこう思ったかもしれません。
 土に「なりたい」と。
 その想いは、体とは別のあたらしい土になったかもしれません。
 そうして、けして停滞(とど)まることのない、無限の想いを繋げていった・・・
 そうかもしれませんね。




二稿:2006.5.28
初出:2006.5.25
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